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> Experimental Type 56 105mm SPG SY
【sWIKI】からのお知らせ
14日(金)11時30分頃から約3時間、閲覧できない状態となりました。復旧作業、及び差分チェッカーのバックアップ作業を行いました。御迷惑をお掛けし、申し訳御座いませんでした。
Experimental Type 56 105mm SPG SY
の編集
日本語表記:試製56式105mm自走砲 #br &attachref(./R (1).jpg); #br ''スペック'' |車両|M24軽戦車| |車体装甲厚|25mm程度*| |重量|18t程度*| |エンジン|8HA空冷ディーゼル| |馬力|220馬力| |出力重量比(hp/t)|12.2| |武装①|M2A1 105mm榴弾砲| (ウィキペディア、『戦後日本の戦車開発史』より。*参考文献の「重量とエンジン出力はM24軽戦車と大差はないのに」に基づく) *概要 [#ifa5adf4] 1954年に保安隊から、陸上自衛隊となったが、当時火砲はけん引式で機動性や防護性に難があった。そこで、1956年に自走榴弾砲の開発が決定され、それが本車である。 計画では、米軍のM37 105mm自走榴弾砲を参考に、105mm榴弾砲M2A1をM24軽戦車の車体に搭載し、ディーゼルエンジンへの換装や新型変速機の採用によって、M24と同等の機動性を確保することを目指していた。 設計は防衛庁技術研究所が行い、1957年に設計を完了、翌1958年に一次試作車SYが製作された。榴弾砲の改造は日本製鋼所が、車体の改造は三菱重工が担当している。 車体のデザインはM37の影響を強く受けており、105mm榴弾砲を車体後端まで覆う箱型戦闘室に納め、戦闘室右前方に設けられたリングマウントには、自衛用の12.7mm重機関銃M2を装備していた。 ただし、M37の戦闘室がオープントップだったのに対して、本車は密閉式の戦闘室を持っていた。 一次試作車は、改造による重量増加で走行性能が低下していることがわかり、二次試作車が造られたがそれも要求性能は満たせず、開発・研究は中止された。
日本語表記:試製56式105mm自走砲 #br &attachref(./R (1).jpg); #br ''スペック'' |車両|M24軽戦車| |車体装甲厚|25mm程度*| |重量|18t程度*| |エンジン|8HA空冷ディーゼル| |馬力|220馬力| |出力重量比(hp/t)|12.2| |武装①|M2A1 105mm榴弾砲| (ウィキペディア、『戦後日本の戦車開発史』より。*参考文献の「重量とエンジン出力はM24軽戦車と大差はないのに」に基づく) *概要 [#ifa5adf4] 1954年に保安隊から、陸上自衛隊となったが、当時火砲はけん引式で機動性や防護性に難があった。そこで、1956年に自走榴弾砲の開発が決定され、それが本車である。 計画では、米軍のM37 105mm自走榴弾砲を参考に、105mm榴弾砲M2A1をM24軽戦車の車体に搭載し、ディーゼルエンジンへの換装や新型変速機の採用によって、M24と同等の機動性を確保することを目指していた。 設計は防衛庁技術研究所が行い、1957年に設計を完了、翌1958年に一次試作車SYが製作された。榴弾砲の改造は日本製鋼所が、車体の改造は三菱重工が担当している。 車体のデザインはM37の影響を強く受けており、105mm榴弾砲を車体後端まで覆う箱型戦闘室に納め、戦闘室右前方に設けられたリングマウントには、自衛用の12.7mm重機関銃M2を装備していた。 ただし、M37の戦闘室がオープントップだったのに対して、本車は密閉式の戦闘室を持っていた。 一次試作車は、改造による重量増加で走行性能が低下していることがわかり、二次試作車が造られたがそれも要求性能は満たせず、開発・研究は中止された。