New Gun Tank Otsu Ho-Chi のバックアップの現在との差分(No.1)
日本語表記:新砲戦車(乙) ホチ #br 画像なし! #br ''スペック'' |車体|新中戦車(甲)| |車体装甲厚(mm)|| |重量(t)|20強?| |エンジン①|| |馬力(hp)|| |出力重量比|| |武装①|| |砲口初速(m/s)|| |武装①|九四式山砲(75㎜)| |砲口初速(m/s)|392| |武装②|九九式十糎山砲(105mm)| |砲口初速(m/s)|334| |類似火砲|| (アジ歴C14011075200、J-TANK23号など) #br *概要 [#k8cef0fa] 新中戦車(甲)の車体に75ミリあるいは105ミリ山砲を搭載したもの。wikipediaでは九六式十五糎榴弾砲をチハ車体に搭載した五式十五糎自走砲を指してホチ車としているが、アジ歴にある資料でホチ車と明言されているのは(自分の知る限りでは)この新砲戦車(乙)だけである。 またこの時点での新中戦車(甲)チトの仕様は57ミリ砲搭載案の段階である。実際の四式中戦車チト(全備重量30トン)よりは一回り小さい車体だったと思われる。 また、ホリ車として有名な新砲戦車(甲)はこの車両の兄貴分と言う位置づけである。実際チト車の兄貴分のチリ車をベースにしたあたり、分かりやすいところだと思う。 新中戦車(甲)の%%車体に%%砲塔に75ミリあるいは105ミリ山砲を搭載したもの。wikipediaでは九六式十五糎榴弾砲をチハ車体に搭載した五式十五糎自走砲を指してホチ車としているが、アジ歴にある資料でホチ車と明言されているのは(自分の知る限りでは)この新砲戦車(乙)だけである。 本車の位置づけは主力中戦車の火力支援であり、ドイツで言うところのⅢ号戦車に対するⅣ号戦車のようなものと言えるだろう。また興味深いのは、本車の配備までの中継ぎとして、一式中戦車の車体を利用した二式砲戦車が挙げられている点である。言い換えれば、本車は二式砲戦車の後継車両だったとも言えるわけである。 ちなみにホリ車として有名な新砲戦車(甲)は、新中戦車(乙)つまりチリ車の火力支援を目的に、チリ車々体を利用した砲戦車として計画されたものである。 これら一式中戦車~新中戦車(乙)までの関係をまとめると、次の表のようになるだろう。 |主力中戦車||主力中戦車をベースにした火力支援戦車| |一式中戦車チヘ|→|二式砲戦車ホイ| |新中戦車(甲)&br;四式中戦車チト|→|新砲戦車(乙)ホチ| |新中戦車(乙)&br;五式中戦車チリ|→|新砲戦車(甲)ホリ| (参考:アジ歴C12121562400) 当時の戦車の進化は急速で、結局開発はホリ車に一本化されホチ車の計画は削除された。 *甲乙付けがたい? [#vd741c05] 上の表を見た方は「むむむ?」と思ったことだろう。そう、新中戦車の甲乙順と、新砲戦車の甲乙順が入れ替わっているのである。 これは恐らくであるが、新中戦車の計画と、新砲戦車の計画時期にズレがあったためであろう。 もともと「新中戦車」の計画は一種類だけで、どうやらそれが先行して開発が進んでいたようなのである。 しかしその後の整備計画案において先ず「新砲戦車(後のホチ車)」が追加された。 そしてこの整備計画案の審議が進む中で、より強力な中戦車と砲戦車が要求されることになる。ここで前者の「より強力な中戦車」の計画は「新中戦車(乙)」となり、既に開発の進んでいた「新中戦車」の方を「新中戦車(甲)」として優先した形となった。 一方砲戦車はというと、一応「新砲戦車(後のホチ車)」の方が先に計画案には載っていたものの実際の開発には進んでいなかったようで、優先順位が逆転した結果、「より強力な砲戦車」が「新砲戦車(甲)」に、ホチ車が「新砲戦車(乙)」となったようである。(参考:アジ歴C12121563900) |